絵を使いきりました。暫く絵は無しでござるよ。
札幌のアパートを引き払うので、土曜日から母と部屋の片付けに来てるのですが、仕事柄、作画資料や本屋ら画材やらビデオやらが殆どを占める為、恐ろしくて母に手伝ってもらう事が出来ず。
片付けは、ほぼ自分一人でやってます。母は見てるだけ状態(苦笑)。
んでもってアパート来てからこっち殆ど眠ってません。
徹夜に近い状態です。
もともと一人分しかない寝場所に母と二人で横になってるのですが、寝れたもんじゃない。
母に基本場所を提供し、自分は端の狭苦しい場所で、窮屈な格好で横になってます。これ書いてる現在、母は私の横で熟睡中。
傷に負担がかかるせいか、睡眠中の自然な寝返りが不可能なようで、定期的に起きて意識的に体の向きを変えないといけないのですが、そんな空間は狭い場所には無い。
無理な格好のためろくに眠れず、体も痛いし。腹の中も負担が掛かるのかかなり痛みが。腰に負担がかかるのか腰痛気味だし、傷も変に熱もってて痛むし(涙)。
身体の疲労は一向に解消されず、蓄積する一方です。とほほ。
そんな訳で、
体力ゲージ急速降下中。
開腹手術でごっそり減った体力が更に削れてます。
抵抗力落ちてるので、風邪ひいたりしらアウトです。要注意です。
日中、食事を買いに外を歩いたりすると身体がふらついたり。そろそろ酷い眩暈が出そうな感じが。
今現在既に、眩暈やふらつきが軽度ですが出始めてます。
ついでに多分栄養失調気味だと思うです。退院してからこっち、家では食事の量が小食の母基準のため、まったく足りて無いのだ(苦笑)。
カロリーメイトと野菜ジュースが手放せません。
血圧も実は手術室を出てから低いまま、退院した現在まで殆ど回復して無い…………。
部屋の整理は、自分じゃないとできないから、母に手伝ってもらうの無理だし。しかも、画材とか本が重いんだこれが。
日中は、母も色々気を使って声かけてくれるんだけど……。
無理しないで、休みなさいよ。
と言われても、母が居る為、どこかで無理をせざるを得ないのですが、それを言う訳にはいかず。
札幌に来てから気が抜けませんです。
ふと、なんで病み上がりの自分が(いや、治っていないんだけど)、回りに気を使わねばいかんのだと疑問を感じたりもしますが、考えない考えない……。
開腹手術では、へそのすぐ下から12、13cmほどを切りました。
手術当日、
昼11時ごろ、自分の番が回ってきたので手術室へ【自分で歩いて入る】しかも、【自分で手術台に横になる(笑)】
麻酔を入れて寝てる間に手術終了。
意識回復、いつまでもげほげほむせてたら、お医者先生に怒られた(腹に負担がかるから良くない)
→手術室を出る(昼3時ごろ)→ICUで睡眠
→真夜中に心電図をぴこぴこ鳴らす傍迷惑な患者(笑)。モニターの表示が全部赤字になって点滅。
うおおっ、本物~~。初めて見た――――ww。
………………。
待て。
喜んでるけど、警告自前――――……。 か、看護士さーん!!
原因は血圧低下でした。
翌日
朝起床、病衣に着替えさせてもらい、自力で顔拭き歯磨き
→ベッドから出てICUの廊下を自力歩行で1往復(看護士さんと一緒)
→再びベッドで横に……と思ったら20分ぐらいで終了。
→婦人科の普通病棟へ看護士さんと一緒に移動。しかも自力歩行。ミが(傷から)出そうです。と言って看護士さんに笑われる。ああん。
→普通病棟のベッドにひとまず横に……なれる訳も無く、自分の荷物をロッカーに入れたりして整理。
やっぱり自力ですか、そうですか。ハラワタ痛いよ。しかもナンカ傷が裂けそうな痛みが……。絶対傷開いてるよ。
→荷物の整理が終わってやっとベッドに横になる(昼11時)。やれやれだ。
お腹空いた、ひもじい……。
12時になって、他の患者さんのとこにご飯が運ばれる。当然自分には無し(ガスが出るまで食事は始められない)。
ごーはーんー。点滴あきたー。オイラも白いお米が食べたいよーう。
手術終わってからこっち、5本だか6本だか延々と点滴しっぱなしだし。
そんな感じで術後の入院生活開始。
結局、ICUでは一晩寝ただけでした。2日くらい居ると思ってたのに。
最近は手術後すぐ歩かされるんですなー。
腹から具が出そうな痛みがあったのですが、内蔵の癒着を回避するとか、動いた方が回復も早いとかで、可能な限り動きましたが、2,3日はとにかく傷が痛かったです。
ハラワタの方は痛み止めを打ってくれてたので何とかなったけど。